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歌川(かせん)の陶





茶碗A


歌川(かせん)の陶ー現代美術
文 ことのは 宇田川 靖二

歌川氏の小さな陶の作品「茶碗A」「茶碗B」がある。
いわゆる現代美術に親しんだ者の作品である。
現代では、多くの作家たちが作品の「素材」そのものに注目したものをつくったり、 既成概念からはずれた、「おや?」と思わせる関係性を作品化したりしていて、その性格じたいはもはや珍しいわけではなくなった。
例えば、鉄で布団を作ろうとしたり、油の池をつくって、水の池とも違う鏡面の質感を提出してみたりする。
手もとの「現代美術」に関する本を手に取れば、ポロックのアクションペインティングがあり、マーク・ロスコの絵画がある。
そして、関根伸夫の「位相ー大地」(1968)や「空想ー油土」(1969)が紹介されている。
すでに半世紀(以上)になるが、作る側において、何かが堰を切ったように溢れ出したのだ。
同時に、受け取る側が、不思議なくらい受容してきた。
このことは、「必然性があった」と考えてよいことを意味するが、私達は、一体どのような世界に入り込んだと考えればよいのであろうか?


1、ストーンヘンジの魅力
私は、最初、歴史の教科書において出会った。
陽は傾いて、もうじき遠い山の端にかくれようとしている。
その写真は、「自然」の中によくなじんでいるという印象をうけた。
不思議な、大きな石の塊達は、「ストーンヘンジ」と呼ばれる遺跡である。
それらには、風景を変える力がある、と思った。

しかし・・・、その「石の並び」にこころ惹かれる、のはなぜであろうか?
推しはかる他はない、古代との遠い距離というものが、常に謎めいた空気を漂わせてくるからであろうか?
すでに過ぎ去った世界、それが過去の世界であることがはっきりしているのに、まだ見たことがないという思いが私達の「視線」を支配している。
足もとの高度に発達した現代の文明社会を思ってみても、「ストーンヘンジ」がすでに克服され了えた世界だ、という気はしない。
むしろ、今日の私達には、いかばかりの「豊かさ」を失ったのかという、郷愁に似たものが湧いてくる。

この古代の遺跡の世界は、あたかも「現代彫刻」のようではないか。
一体、それはなぜであろうか?

2、初源の視線=視線の初源
私達が、この世に生まれたその初め、一体どのような自分が、どのように世界を見ていたのであろうか?
最初に光を見た眼、何でも手でつかもうとしていたような私たちの眼、それは触覚のかわりであったかもしれない。
それなら、母親の姿は、ただ「白い影」であったろうか。
初源とも言うべき乳児期、幼年期の視線は、その後、黒い影、やや淡い影、風のように動き去る影、あるいは、追えば答える、あるいはなお、追いかけても拒否し続ける、そういう「川底の魚影」のようなものに向けられたのであったかもしれない。
恐らくは、その年齢の頃、見えるものを捉えようと、誰もみな、じっと見詰め続けたことだろう。
それらは、日々の、時々刻々の、疑問符をかかえ持った「驚き」、自分の世界というものの、はげしくもあり、また静かでもある「驚嘆の波」、いや、確実に水かさを増してくる「洪水」であったはずだ。
視線や、音や、触覚や、それらが総動員された、情感の世界を生きていた初期の頃とは、そういうものであったであろう。
だから、とても「主観の世界」とまでも言い得ない、「主観」が確立するよりも、まだずっと手前の時期の話である。
その頃、「ストーンヘンジ」の世界が、私達に準備されていたのであろうか?

こうして、私達は、それらの視覚に現れた「影たち」を、
後年「もの」と言うようになり、やがては「実体」とか「物質」などと、言うようになる。
だが、それまでには、相当の苦悩の山々にわけ行って、得難い幻視を重ねなければならなかったはずである。

3、「非観念」「非精神」「非こころ」という世界。(=「もの・物質」以上の何ものか)。
私達は「唯物論」と「唯心論」の対比とか、「物質」と「精神」の対比とか、「実在」と「観念」の対比とかに慣れている。

このように「観念」「精神」「こころ」・・・という言葉がある。
これらは、「実体」とか「物質」の、その(硬い)物の性質が否定されている、ということを意味し、私達の、実際の時空間の法則からは何も束縛を受けない、内的な世界のことを指している。
だから、それら「観念・精神・こころ」の意味内容は、「非実体」、「非物質」という言葉で言い表すことができる。
むしろ、「観念」「精神」「こころ」・・・について、それらは「非実体」、「非物質」だ、としか「規定されていないし、規定され得ていない」と言ってよい。

しかし、かの初源の時期には、「実体」とか「物質」もまだイメージとして出来上がってはいないのだから、「観念」「精神」「こころ」・・・という「言葉」の中身をとうてい埋めることはできない。
それらは、後年の、ある時期に至って、やっと言葉に成し得た世界なのである。

従って、「観念」「精神」「こころ」(や、「実体」「物質」)などの言葉には、私達はまだ限定されてはいないし、拘束されてもいない世界(時代)として、かの初源は位置づけられなければならない。

初源とは、「後年に、<私>と言うようになるべき存在」としか言いようがない。
その意味で<私>から見た対象世界は、<非私>としか、ここでは言い表しようがない。
あの「川底の魚影」たちは、「ものと呼ばれる以前」「物質と呼ばれる以前」の、<非私>である。
この<非私>は後年、「非観念」「非精神」「非こころ」というべき存在世界を作り上げることになるもの、なのである。

この聞きなれない、後年の「非観念」「非精神」「非こころ」は、「初源における<私>以外の存在」を意味しているが、未だ「もの・物質」ではない。
「もの・物質」以前の「可能性」なのである。
強いて言えば、「もの・物質」は、後年「非観念」「非精神」「非こころ」となる以前の、そのものよりも狭い概念である。
後年の「非観念」「非精神」「非こころ」と言わざるを得ないそれは、「もの・物質」よりももっと豊かな可能性で、想像力を誘う対象世界であったはずだからだ。
近代になって、最終的に「観念(非物質)対物質」というイメージに簡略化されてしまっただけである。
それらは、もともとは、やがて「もの」や「物質」として括られてしまうところの、未だ「或るもの、或る世界」だったのである。

<非私>そして、後年の「非観念」「非精神」「非こころ」は、「川底の魚影」から様々にイメージ展開することになる。
「川底の魚影」はどのような祭りをくりひろげるのか?

私達が、失ったものを取り戻そうとする回帰の作業が、このような認識の段階に至って、現代美術という形ではじまったのだと言い得る。

「沼地」「海水」「水溜り」「油」「油の土」・・・、
これらは、初源を生きる者にとっては謎の、「魚影」の、「群」であった。
それらが、やがて「もの」「物質」となる。
その以前の魚影のような世界が、「カンブリア紀大爆発」のように、初源において開花していたのである。

現代美術の作家達は、考古学者のように大爆発の場所になだれ込んだ。
その「イメージ大爆発」は、郷愁の、「ストーンヘンジ」の世界なのであり、後年、「非観念」「非精神」「非こころ」という語で指し示すことができる、自己の初源の世界なのである。

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