小林敏也
「全てを捉えるということ」
文 ことのは 宇田川 靖二
個性的なモノクロ画等を描く、小林さんの先祖は何者か?
あるいは、何者の子孫が小林さんか?
ある日、こんな問をたててみた。
眼を上げると、大きな天空。
そこには星座が、びっしりと埋まっている。
それほど深い群青の闇だ。
「全てを捉えたい!」という積年の憧憬が、作家の眼を巨きな宇宙へと向かわせる。
街角を横切る気配も、動物の目の光も、どこからかやってくる声のような風も、みなその把握の意識が生み出した天空のどこかの場所、その闇の層においての出来事だ。
見えるもの全てを捉え、それを描き出すという大それた望みは、太古に、あるものの狂気が産みだしたものであったろうか?
最初に、「絵」を描いた、初めての芸術家は、どれくらいはるかな過去に出現したのだろうか?
人はいつ「絵」の世界を自分の眼に見えるようになし得たのであろうか?
自らの期待によるにせよ、あるいは、誘われるままにせよ、彼が強固に信じたことは、「全てを捉えることは可能だ!」ということだ。
その凝視に、取りあえず「諦念」はない。
その長く、険しい旅路とは、「こんなものは初めて見た!」という呟きを堆積することだ。
見える「限り」のものを見ようとするのは、まだ見ぬものを見ようとするのと同じことになる。
その勢いの姿は、生れ落ちた赤子の手足の衝動そのものだろう。
「初めて見た!」という呟きを、ながく堆積する過程を経て、そののち、いつしか滲み出して来るもの、品性とは恐らくはそういうものだ。
かように有限の存在である人というものが、無限性に挑んだ、そういう先祖が、嘗ていたのだ。
そして、ある時、彼は「全てを見た! 全てを捉えた!」。
全てを見た上で、なお、その時、たたみかけるように、「さらに、見よう!」と彼は欲してしまった。
この新たな次元での「見よう!」という欲望の意味とは、「全てを見た後は、決して存在しないと了解しているものを、さらに見よう」という意味に他ならない。
「存在しないと了解しているものを見よう」という、この事態の意味を充分に理解したならば、「自らが産み出す他はない」という場所に立ったことを、彼は認識せざるを得ない。
彼は「自らが産み出す」というその条件を持つことができたのだ。
恐らく、この地点で、第三の、ある力が働いたとでも想像すればよいのだろうか。
かくして、「自らが産み出したそのイメージ」は、あらかじめ存在していた、言わば自然に対して第二次的な、新たに人によって産み出された観念の世界、という位置づけが与えられよう。
「絵」が産まれたのだ。
「絵」(描かれた絵)にいたる通路が開けたのだ。
相前後して、「全ての『自然音』を聴いた人」によって「音楽」の世界も産みだされたはずである。
作家は、なすべきことが見えなくなることはない。この意味では、悩みという形を含め、彼が行き詰まることはない、と言える。
嘗て、彼(作家)の先祖が、全てを見ようとして、そして、全てを見たように、そして自らのイメージ世界を産み出したように、その同じ旅路を繰り返すのが、子孫なのだ。
「自らの独自性を産み出すのがアーティストだ」という話が、何となく理解しやすいような気がするのは、かような事情がきっと作用しているに違いない。
すべての現象をこの眼に見る(=把握する)ことが、物理的にも実際不可能なのは言うまでもない。
だが、時として、「全てを捉えた!」という心的異変の体験は恐らく可能なのであろう。
その心のメカニズムを具体的に知ろうとしても、定かであろうはずはないのだが、そのドラマは、すべて夜空の広大無辺なる領域で起きることだ。
小林さんの、スクラッチや、水彩や、木版においての、久しい仕事の山は、そういう天空の舞台目掛けて果たされている仕事なのであろう。