森田義男
1926年 東京八王子に生まれる
1946年 国画会初入選
1951年 連合展に出品
1952年 国画会にて受賞
1958年 国画会会友、その後、国画会退会
1972年 里見勝蔵を中心に写実画壇を結成参加、以後同展出品
1985年
1986年 「山百合」「街」八王子市蔵
1991年~1994年 土佐清水市主催全国公募展審査員
1997年 画業50周年記念展を東京国際美術館にて開催
現在 写実画壇創立会員、日本美術家連盟会員、毎年個展
森田義男さんの絵 ~ 「つや」 の位相 ~
文・宇田川靖二
作家達は、未来の人々と対話するような気持ちで、今後もながく自分の作品が生き残って欲しいものだと、漠然とにしても思っているはずだ。
だから、ある作家の作品をみて、一時代というようなものが感じられるとしたら、その作品は、すでに歴史上何がしかの場所を得ているというイメージができあがっていて、その意味において成功したように思える。
森田さんの絵は、近代絵画という一時代の世界を背景に持っていて、その「造形」についての完成度は高い。
その、技量から、恐らく、一枚のキャンバスを前にして、物理的には普通の作家より割合に短い時間で仕事をしているような気がするのだが、しかし、画面全編に配慮の的確さが演じられている。
その「演じ方」から、作品には、言いようのない「つや」とも言うべきものが湧いてくる。
この「つや」の位相について語るには少なくとも二つのことが欠かせない。
一つは、恐らく「内面(化)という世界」について。
もう一つは、勿論「近代(絵画)」ということである。
先ず、内面(化)という世界についてだが、ひとは「自己の内面」とか「内側」などと考えている世界をもっている。
例えば、自分の身体を境にして「内側」と「外側」とを何となく分けていたりする。
しかし、自分の足が、耐えがたい痛みに襲われたような場合、自分の足とはいえ、「外側にほうりだしたい」と願ったりする。
自己の「内側」と「外側」とは、かように、「自己に和んでいる領域」と「自己を侵害してくるような領域」とがどんな現場事情にあるのかによって、どこまでが自己の内側(内面)なのかというように、領域の境界線が変化してしまう。
私達は、好きなカップで珈琲を飲む。また春の和やかな景色を見てやすらう。その時、「この部屋の珈琲の時間は私の時間であり、この春の風景は私の世界だ」と思える。
この時、自己は自分の身体を超え出て風景にまで拡大してゆく。外側と思われていた世界は、自己の内面に成りかわる。
だから、深く自己の内部に降りてゆけば、「自己の内面とは和み親しんでいる領域のことだ」ということが言える場所にやってくる。
この「和み親しんでいること」という心の現象は、絶えず「領域の拡大縮小変化」を起こしているのだが、恐らく、私達が遠い過去から受け継いできたものとしてあるものなのであろう。
だから、画家たちが「風景を好きに描きたい」と思うことは、自己の内側に風景を取り入れて自分のものにし、自分がその風景の中に和みやすらうということ、のみならず「自己の内面世界がそのようなものに成りかわること」、かような「自己の内面の展開」ということを意味している。
さて、「好きな街を歩いて、それを自分の内面の街に変えてゆく」のに、「絵描き」の森田さんは「近代絵画」という「造形」の世界に跳躍する。
歴史上に、「近代絵画」は必然的に訪れるものだ。
この「近代絵画」の必然性を語る時、キーワードは「抽象(化)」であり、抽象の道程をイメージ化するのが当を得ている。
目の前に森田さんの絵がある。
実はその絵の背後に、中心線や水平線をはじめ、形を形成している無数といえるほどの線・点・面が見える。
一本の線が揺れれば、波のように他の線と会話する。
それらは有機性をもってゆるがない。
その或る線が、左方の奥行きに緩やかなカーブを作ろうとするのは、左方からの光を意識した心が歌おうとするからだ。その時、すでに視線はキャンバスの全域に及んで、線どおしの牽引と交歓がはじまっている。線の調子はまだ決定されていない・・・。
かかる作画の時間が可能なのは、「造形力」が充分血や肉になっているからだ。
「近代絵画」の世界は、眼に見えるあらゆるものの形を「抽象化」して、その究極の見え方が「球・立方体・円筒・円錐・角錐」という「五つの形状」につきる、と解釈された世界である。
そこに、取りあえず不都合は見られない。
「抽象化のソフトを持つ者」(=画家)達は、「抽象能力をめぐらせて、見える世界というものをどのように作り変えてもよいのだ」という、そういう「造形の自由」という地点にやってきた。
画家達はこの「抽象化」のソフトを駆使して、「自分の意志」によって絵画作品をアウトプットするようになった。
ここから、この近代絵画の性格は、作家達を、様々な個性を発揮することができるような開放感のもとに押し出した。そして百花のごとく広がった。
この状況は、あたかも、「近代社会」について語られているかのようだ。
その理由は、「抽象(化)」というものの道程が「近代絵画」にも「近代社会」にも、共通の運命をもたらすからというところにある。
「近代社会」もまた、「近代絵画」の「抽象(化)」に呼応し合っているかのように、たくさんの自由な個性を産み出し続ける社会として、許容性という意味で「懐の深さ」を現出してみせた。
「社会を形作る契約者相互は、ちょうど等しい点の集合なのだ」というような抽象として、人々を単位のようなものとして描きだし、それを社会成立の根拠とした。「その限りでお互い様」というこの社会に、王や神が入り込む隙間はない(はずだ)。
なぜかというと、「五つの形状」のように、それが抽象化による究極のイメージであると言えるからだ。
「法は最低の道徳だ」という法諺(ほうげん)が、近代社会にはよく似合うと思うのだが、「最低の道徳=法」さえ守れば、お互いに自由なのだ、という話になった。
そこには、アーティストや、高潔な学者もいれば、平凡な市民のみならず、利己主義者も、守銭奴もいて、しかも、どうにか社会としては成り立っている。
この「自由で理想的な社会のイメージ」に、絵(イメージ)として、取りあえず不都合は見られない。
この許容性や一定の自由ということは、「抽象(化)」の道程が必然的にゆきつく結果なのだ。いわば「論理的必然性」として、遍くここまで押し上げられ且つその嵐にさらされた、ということができる。
「近代絵画」の画家たちは、自分が感じ、考えるままに、風景や静物をどう作り変えてもよいという態度で、キャンバスの前に立って「どう描こうか」と考え、「近代市民」は、一定のルールのもとにおいては自由だ、という世界の前に立って「どう生きようか」と考え始めた。
人の「抽象(化)」の意識は、その後「土台」とも言うべき「自分を生み出した親の具体性」についての探索を自覚し始める。
さてこのあたりまでくれば、森田さんの作画というものが、(太古からと言ってよいはずだが)森田さんのうちに広がっている「内面性」が、どういう形をとってキャンバスに出現するのか、どういう意味のことをしているのかという話として煮詰まってくる。
画家本人が、和み、愛着する対象世界を、どう造形して「自己の内部世界」を作り押し広げようとするのか、という「親和的世界」の拡大、その長い軌跡を私達は観ているのだ。
森田さんの内側で、それが「地層」として身体化し(精神化し)、ついに街をめぐる時間を楽しみながら、それが「風景画のつや」となって作品化される、そういった現在の姿に結晶しているものを、私達もまた「親和性」をもって追体験しようとしているのだと思われる。
その「つや」は粗暴な侵犯や争いの場所に現れることはあり得ない。