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武田信彦さんの絵





武田信彦

〜 作画の午後 を描く 〜
文 ことのは 宇田川 靖二


風景を前に、人はそのどこかに焦点を合わせようとする。
展開されている大気が、静かなまぶしさを告げてくる。
そこで、画用紙上に風景を再現してみたいと思うのは、その時、静かなまぶしさからの勧誘に作家が応えざるを得なくなってしまったからだ。
さて、画面のどこをどのように切り取ろうか・・・。

武田さんの風景画の数点をみると、それぞれ「午後」の或る風景を描いているように思われる。
その充満した光や、光を受けた草木や海浜・・・を見れば、それは明らかなようだ。
しかし、それだけで納得され得ない、何か言い足りない気分が残るというような、別な「午後」の世界が描かれているという感覚に捉われる。

私達の「一日」というものを考えてみる。
私達は早朝の起床から始まって、せわしい午前中をすごす。
そして、午後の頃合にいたる。
午後は、私達を、ベンチにでも座りながら「待っていた」、とでも言えそうな表情を用意している。
午後というものは、いささか自由なある時間に向かう準備を、私達に整えていた。
そして、私達は、午後の「散策」に自分の時間をすごそうとする。
この「散策」とは、「午後の時間という世界の散策」である。
それは、ある場合は近所の遊歩道を歩くことであり、またある時は、陽だまりのうちの歓談であったり、あるいは「ひと仕事」にとりかかる時間であったりする。
この「ひと仕事」は、この武田さんの場合、外でスケッチすることであり、自宅で絵を仕上げることでもある。

武田さんの風景画は「午後」という言葉がよく似合う。
その理由は、眼に見える外の午後の自然を描いている、ということ以上に、実は、私達の誰もが過ごしている「午後の自分の時間」を描いているからだ。
だから、どの絵にも、静かに緊張した内的な光、恐らくは午後の外光ではない内側の光が、隅々にまで満ちている。
この風景画の対象は、「作画という午後」なのだ。
静かなまぶしさはその時に出会う。


武田 信彦(画家)
■風景画展 2008年4月9日(水)~4月26日(土)


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