(1) 「独立展」へ
2011年の秋、私は、六本木の国立新美術館を訪れようとしている。
愛すべき喧騒の大都会の地下を歩く。
八王子でギャラリーやスタジオの仕事をしているせいで、静かなピアノやヴァイオリンの音はみじかにあると言えばある。
だから、地下鉄の音は、体の芯にダメージを与えかねないほどだ。
もし、この一時間ほどの、私が体験している喧騒というものを、百キロも遠くはなれた場所で聞いてみたら、喧騒は無いに等しいであろう。
あるいは、この一時間の騒音を、一年間に引き伸ばして聞いてみれば、この一年の長さの中に薄められた音は、私たちの耳の世界では捉えられることはなくなるであろう。
私はしばらく「静けさ」に出会っていない。
「静けさ」から離れてしまっているような気がする。
「静けさ」に出会いたい・・・と考えた時、ひょっとしたら未だ「静けさ」を私は知らないのではないのか? という疑念が湧いた。
少なくとも、まだ知らない「静けさ」の世界がある・・・。
そして、私は美術館の玄関にはいり、「独立展」の会場にむかった。
外の世界とは一変して、そこは大きな天井を見上げる、建物の「内側」になる。
天井や壁は、どことなく「外壁」に特有な、硬さのようなイメージとは違って、いわゆる「内壁」の、物柔らかな神経が通った世界をつくっているような気がする。
私は抱懐され、守られている・・・と一瞬思った。
私だけの幻想をみるかもしれない・・・とも思った。
独立展の、ある絵の前で足が止まった。
「原田 丕」さんの絵だ。
その時静かな何事かを直感したのだ。
何であろうか?
また、なぜであろうか。
その絵は全体的に色彩がおさえられている。
樹々の繊維のような、神経のような物が集合して空間をつくっている。
そして、指ほどの魚を池の上から見たような流線型が、いくつかづつ単位をつくって、画面に配されている。
空気のような水?の上に、 それらはじっとしている。
やがて私の情感と思考が動き出す。
この作品の作者の幻視は、どんな意味が積み上げられているのだろうか?
それは「静かなドラマ」のだ。
(2)生命の初源の世界
私の想像は植物の種子のような生命の「初源」へつながった。
生命を幻想した以上、その種子のような頼りないなものは、「個体の初源」の姿ではないのか。
生命とは何か?
「複写と代謝」である、か。
私は答として、次のようにつぶやいてみることにする。
「生命とは、内側から 何かが湧いてくるような存在」なのだ。
生命にとっては、従って、必然的に、「内側」が問題になる。
「内側」とはいつ頃世界に登場してきたのであろうか?
私が(生命の)個体である、ということは、かの種子が出現した時はじまった。
散らばったその種子のような頼りない個体達が出現した時、世界は「内側と外側」という二つをもつことになった。
生命が未だどこにも現れていない間は、それまでの物質・物理の世界では、「内側」や「外側」は存在しなかった、と言えるからだ。
「個体」の出現は、限りない後年において、「自己」や「主体性」という悩める「内側世界」が出現するのを約束した。
すべて、限りなく遠い過去・遠い将来という類の話だ。
そうした初源が、いかに革命のドラマ、その喧騒を背後に伴っていたとしても、今から数億・数十億年単位の過去という、そのあまりの遠さが、すべての騒音を無いものであるかのように消してしまう。
そうして、独特の「静けさ」だけを、表面上に残すのだ。
その「静けさ」の中でしか、生命の「内側」の初源という世界が、私たちに訪れることはないものなのだ。
大きな公募展の展示会場は人々の積極的な内的表現の意志、それらが飛び交っている。
よい時代だとも言えるが、今日の私のコンディションは「静けさのドラマ」あるいは「ドラマの静けさ」を求めている。
それは、ずっと遠い場所、そこにドラマの音はあるのであろうが、まったく聞こえない、音は無いに等しい、「内側」の初源という場所である。
1993年 第36回安井賞展(95年賞候補)
1995年 独立美術協会会員
1998年 第5回羽村市芸術家作品展「原田丕展」
1999年 現代日本美術展・佳作賞
2002年 デメーテル連動企画「SHOW CASE」(帯広)
2002年 「エレメント」展(ニューヨーク)
2003年 プサン版画展(プサン市)
現在
独立美術協会会員
日本美術家連盟会員