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加藤俊雄さんの絵







加藤俊雄さんの絵 
文 ことのは 宇田川 靖二

「転回」という言葉がある。
「ひっくり返る」という意味だが、しばしば、根本的な転倒という事態に出会った時に使われる。
例えば、天動説から地動説への、考え方の転換の場合などにおいてである。

ある時、私が加藤俊雄さんの個展に伺った時のことである。
ここで、「何かと何かがひっくり返った」、私は、そういう体験をしたのだが、それはどういうことだったろうか。

ギャラリーに足を踏み入れて、白い壁に、色彩あふれた大小の油彩画が、20点ほど並んでいるのを目のあたりにした。
ある絵は、古典的な建物をうっすら感じさせる画面が、原色の光を粒子のように降らせてくる。
ある絵は、世界の究極の素材が色彩自体であるかのように、原色が流れ出てくる。
滔々と湧きだしてくるエネルギーに圧倒される絵が並んでいる。

しばし、部屋を一巡して椅子に座り、私は一息ついた。
この時、その「転回」の体験が、私に起きたのである。

このギャラリーは、多くのギャラリーと同様に窓が無く、壁は白い。
どこにでもあるビルの、ある部屋の中という、謂わば日常の空間で、
私は壁にかかった絵を絵として鑑賞している。
私は、日頃と変わりなく、家から電車に乗り、道路を歩いてその建物の中の一室までやってきたのである。
部屋から直接外は見えないが、外は午後のビル群が続いているに決まっている。
そして、そのビル群の、大都市の遠方には、私達や自然科学者の眼を誘う世界の彼方があるはずだ。
ギャラリーの一室は、それらの世界の内部に抱かれて存る、そういう位置関係であるはずなのだ。

だが、私がその部屋で椅子に座って見た幻想では、部屋には窓があって、その窓から外が見えるのだ。
その窓の外に見えているのは、まばゆいばかりの原色の湧出である。
勿論、その窓とは壁にかかった20点ほどの油彩画のことだが、その絵が窓だと思ってしまったのだ。
絵の力のようなものが、とうてい額縁にはおさまり切らないからだ。
窓の外は、いたるところ存在の密度がドラマをなしていて、目で追うことも困難なほどだ。

だから、私に見えた窓の外の世界は、私が電車に乗り、歩いてここまでやって来たビル群ではない。
これらの窓の外の世界は、どこまでもインパクトの強い色彩に埋まった光景が、遠く、果てしなく続いていて、その世界は、このビルの一室であるギャラリーという、謂わば日常の世界を圧するように外から包み込んでいる。
私達は、絵の押し寄せる色彩の内部にあって、逃げ場を求めるようにして、ビルや都市や世界もろとも一室のギャラリーに閉じ込められているのだ。

外と内とがひっくり返った、と感じたのはこういう次第であった。

作家の心の内部である絵が、謂わば個人の精神性が、その内側に、ビルや都市や世界を閉じ込めるということは、物質物理的には、自然的には、あり得ない。
だが、それらの「大小」は、あるいは「内外」は、このギャラリーでは逆になってしまっているではないか!

椅子に座ったまま、私はその「転倒」のことを考えていた。

「日常の世界」と「絵の世界」といった関係の場合、あるいは「自然」と「精神性」といった関係の場合といってもよいし、あるいは、「生体」と「心・ことば」といった関係の場合といってもよいのだが、ここで観てとるべき軸は「内外(大小)」の他に、「本体と鏡像」という軸があると思われる。

私が鏡に映っている時、私は「本体」であり、鏡の中の私は「鏡像」である。
鏡像は「影」と言ってもよい。
なぜなら、本体が居なくなれば、鏡像も影も即座に消滅してしまうし、「本体」の法則原理は「鏡像・影」には通用しない。
果物の鏡像や影が食べられるわけではないからである。
(実は、私達は、影など日頃は無視しているものである。食事をする時、誰が肉や魚の鏡像や影など気していようか)

この意味では、一般に私達は自然が「本体」で、精神・心が「影」だと思っている。
その理由は、生体が死ねば、精神・心も即座に消滅するからである。

しかし、勿論、この「本体」と「従属(影)」の関係は、「内容」によって、全く逆にもなる。
原子核爆発という自然現象が、広島上空で起きるということは、決して物質物理的自然現象で起きるものではない。
人の精神性が主人となって自然を従属させ動かしているのである。
実は、人に関する限り、そういう関係でこの世は満ちている。

だから、ギャラリーでの「転回」は、「本体と影」の「内容」が転倒したのだ。
日常と絵が、その「主従」を入れ替えたのである。
  * 「本体=日常、影=絵」という構造から、「本体=絵、影=日常」という構造に転回したのだ、と言える。





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